少年ジャンプで掲載されていた『約束のネバーランド』と、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』。
これら2つの作品に多くの共通点があるとして、『約束のネバーランド』は『わたしを離さないで』のパクリではないか?と言われることがります。
本記事では、2つの作品を両方とも読み込んだ筆者が、共通点と相違点を徹底比較し、両方の作品の魅力を解説していきます。
※この記事には上記作品のネタバレが含まれます!ネタバレしてもいいよ、という方のみご覧ください。
『約束のネバーランド』の概要
『約束のネバーランド』は、原作・白井カイウ、作画・出水ぽすかによる漫画及びアニメ作品です。
孤児院「グレイスフィールドハウス」で幸せに暮らしている孤児たちが、実は鬼の餌として育てられていることを知り、脱出を試みるという物語です。
主人公のエマ、ノーマン、レイが脱獄計画を練り、ママと呼ばれる養育者イザベラとの頭脳戦が繰り広げられるのが物語の冒頭です。
鬼の世界に立ち向かう人間同士の絆や、鬼と戦うバトル要素もある少年ジャンプ王道のテーマが取り入れられています。
『わたしを離さないで』の概要
『わたしを離さないで』は、ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロ原作による小説及び映画作品です。
イギリスのとある施設「ヘールシャム」でクローンとして生まれた子供たちが臓器提供のために育てられ、クローンとしての運命を受け入れることに葛藤する物語です。
主人公キャシーとその仲間たちの、臓器提供者としての運命から逃れようと模索し葛藤する人間模様が主題のテーマです。
社会の倫理観や人間の尊厳に対する深い考察を呼び起こし、読者に強い衝撃を与える作品です。
共通するテーマと重要な要素
2つの作品には下地となる要素に多くの共通点が見られます。早速見ていきましょう。
出荷と臓器提供のために人間が生み出される
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」は、共に人間が特定の目的のために生み出されるという衝撃的なテーマを共有しています。
「約束のネバーランド」では、子供たちは食肉として出荷されるために育てられ、「わたしを離さないで」では、臓器提供のために生まれたクローン人間が描かれています。
両作品ともに、人間の尊厳や倫理観について深く問いかけるストーリーが展開されています。
子供たちが隔離された施設で育てられる
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」の両作品に共通するのは、主人公たちが外部から隔離された施設で育てられる点です。
「約束のネバーランド」では、孤児院であるグレイスフィールドハウス、「わたしを離さないで」では、寄宿学校ヘールシャムが舞台となり、それぞれの施設が彼らにとって全ての世界として描かれています。
子どもたちの精神状態に非常に気を配っている
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」の施設では、子供たちの精神状態に非常に気を配っています。
「約束のネバーランド」のグレイスフィールドハウスでは、子供たちに毎日テストを受けさせ、子供たちの知的発達の向上を目指しています。
その理由は、鬼は発達した脳を一番美味しいと感じるためです。食肉として育てられる彼らは、脳を美味しくするために毎日テストを受けさせられていたのです。
「わたしを離さないで」では、芸術教育を通した精神的な成長が図られています。こちらは「約束のネバーランドと異なり、養育者たちにとってのメリットはさほどありません。
しかし、主人公たちが自らを臓器提供のためのクローン人間として葛藤するというテーマの重要なファクターとなっています。(後ほどネタバレ有りで説明します)
重要な事実が大人から隠されている
「約束のネバーランド」では、子供たちが食肉として出荷される運命を知らず、「わたしを離さないで」では、臓器提供者としての運命を持つクローンであることを知りません。
この隠された事実が明かされることで、物語は大きな転機を迎えます。
「死ぬまでは幸せに養ってあげている」大人のエゴが描かれる
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」では、子供たちが死ぬまで幸せに過ごさせるという大人たちのエゴが強調されています。
グレイスフィールドハウスの管理者たちは、子供たちに愛情を注ぎながらも最終的には出荷を目的とし、「わたしを離さないで」では、クローンたちに充実した生活を提供しつつも臓器提供の運命を受け入れさせています。
他の施設はもっと劣悪で、主人公たちの施設は特別に良い環境
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」では、主人公たちが育つ施設が特別に良い環境であることが強調されます。
「約束のネバーランド」のグレイスフィールドハウスは他の農園に比べて恵まれた環境にあり、「わたしを離さないで」のヘールシャムは他の臓器提供者の施設よりも優れた環境が提供されています。
この特別な環境が、彼らの選択や行動に大きな影響を与えます。
主人公は三人組で、一人が最初に死に、残りの二人が冒険を続ける
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」では、主人公たちが三人組で行動するという設定が共通しています。
「約束のネバーランド」ではエマ、ノーマン、レイの三人が中心となり、「わたしを離さないで」ではキャシー、トミー、ルースの三人が中心となります。
どちらの作品でも、最初に一人が命を落とし、その人物が残した手がかりを基に残りの二人が冒険や逃亡を続けていくという展開が描かれています。
各キャラクターの類似点と相違点
エマとキャシー
エマ(約束のネバーランド)とキャシー(わたしを離さないで)は、それぞれの作品でメインの主人公の立ち位置にいるキャラクターです。
エマは仲間を守るために孤児院からの脱出を計画し、キャシーは友人たちの運命を受け入れつつも前向きに生きようとします。
エマは行動的で直感的なリーダーであり、問題解決に積極的に取り組みます。
一方、キャシーは冷静で観察力があり、状況を見極めながら行動します。
主人公という共通な立場にありますが、性格や行動はかなり違いがあります。
ノーマンとルース
ノーマン(約束のネバーランド)とルース(わたしを離さないで)は、3人組の中で最初に死ぬキャラクター(ノーマンは実は後に生きていると判明)としての共通点があります。
2人とも知的で戦略的な一面を持ちますが、性格と2人が辿る運命には大きな違いがあります。
ノーマンは作中で最も優れた頭脳を持ち、冷静に計画を立てて仲間たちを脱出に導こうとします。3人組の中で一番最初に人肉として鬼たちに出荷されてしまいますが、後に生きていたことが分かります。
一方、ルースは序盤から中盤まで自己中心的な行動が目立ちますが、最終的にはキャシーとトミーの間を取り持った後、臓器提供者としての使命を終えて亡くなります。
レイとトミー
レイ(約束のネバーランド)とトミー(わたしを離さないで)は、メイン主人公の精神的主柱としての共通点があります。
レイは、無事に農園からの脱出に成功した後はメイン主人公エマの思いを尊重し、思いやりのある人物として描かれます。
トミーは、自身の運命に葛藤しつつ芸術を通じて自己表現をし、メイン主人公ルースと2人で生きる道を模索しようとします。
二人とも深い内面を持ちながら、表現方法やアプローチが異なる点で対照的です。
イザベラとマダム
イザベラ(約束のネバーランド)とマダム(わたしを離さないで)は、子供たちを管理する立場にありながら、複雑な内面を持つキャラクターです。
イザベラは表向きは優しい母親役を演じながらも、実際には美味しい人間を育てるためという残酷な一面を持ち合わせています。
マダムも同様に、表向きは子供たちを守り育てる立場ですが、実際には彼らの運命を冷静に受け入れています。
二人とも、子供たちに対する愛情と義務感の狭間で揺れ動きつつも、そのエゴイズムと冷酷さが物語に緊張感を与えています。
結局、約束のネバーランドは私を離さないでのパクリなのか?
結論から言えば、「約束のネバーランド」は「私を離さないで」のパクリではありません。
「約束のネバーランド」は少年ジャンプの王道である「友情・努力・勝利」のテーマに沿って描かれています。
孤児院からの脱出を目指すエマたちの物語は、仲間との絆や協力を通して試練を乗り越えていく冒険が中心となります。
一方、「私を離さないで」は純文学として非常に洗練されており、より内省的で深い構成となっています。
クローンとして生まれた子供たちが、臓器提供という避けられない運命を受け入れながらも、自らの生きる意味を問い続ける姿が描かれています。
この作品は、人間の倫理を問いかけるものであり、結末も決してハッピーエンドではありません。
キャシーたちが迎える運命は避けられないものであり、その結末は読者に重い余韻を残します。
このように、両作品には幾つかの類似点が見られますが、ストーリーの展開や作品の方向性は異なります。
まとめ
「約束のネバーランド」と「わたしを離さないで」は、どちらも異なる設定とストーリーでありながらも、人間の尊厳や運命、自由といった深いテーマを共有しています。
どちらもとても面白いので、ぜひ原作やアニメ、映画を観てみてください!
最後までご覧いただきありがとうございました。